殺傷力が高い2tトラックは規制しないの?

秋葉原で起こった殺傷事件について、事件そのものについては論ずることはできないので、その周辺について。
今回、凶器にダガーナイフが使われたということで、ダガーナイフが規制の対象となりつつあるけど、佐世保で銃を使った事件が起こった後に銃の規制が行われたように、凶器となった武器を取り締まって対応した気になっている、という印象を受ける。
あと、増田総務相がインターネット上の犯罪予告を検知できるソフトウエアの開発費を予算の概算要求に盛り込む方針を明らかにしたことを受けて、矢野さとる氏犯行予告収集サイトを作ったという話。国がそういうソフトウェアを作った場合少なくとも数億円の費用がかかるというが、矢野氏は「0億円、2時間で作った」という。個人レベルで作ったシステムと、それなりの会社に作成を依頼して作るシステムを同列に扱ってほしくはないと、ソフトウェア産業に従事している者としては思う。私も費用の見積もりは妥当と思う。ただ、こういう国家主導でこういうシステムを作る意味があるのかという疑問はある。日本語の表現は多種多様である。たとえば、「死ね」と書くとチェックにひっかかるから「氏ね」というネットスラングを使った場合、それに対応できるかなどなど、100%検知できるようなシステムは作れないだろう。そういう不完全なシステムに多額の金をつぎこむのか。矢野氏が作成したシステムも完全ではないだろうが、改良も容易だし、他システムとの連携などの発展性も見込むことができる。国家主導で作ろうとすると、そういう点は及ばない。ちょっと仕様変更をしようとすれば追加費用がかかり、それなりの期間も必要になる。政治家は予算をつければ仕事をしたと思っているのかもしれないが、それが実際に解決に結びつくかはまた別問題である。
基本的に政治に解決を期待するのは難しいんじゃないの?政治だけではなくて、短期的な解決策は全くないように思う。長期的に見れば、やはり教育で解決していくしかないと思う。昔は農民の子供はほとんどの場合一生農民で、そのための教育というのはそれほどの質量は必要はなかったのだろうが、今では職業選択の自由で生き方の可能性は無限大、だけど、それを生き抜くだけの資質が備わるだけの教育が行われているのかというとはなはだ疑問。教育と言っても、受験のための勉強やクイズ的な知識の網羅ではなくて、先人が残した書物を読んでそれを考察する、と言ったようなこと。しかし、国民一人一人がそういう教育を受けて賢くなると、上の言うことを何でも聞いて理不尽な要求も受け入れて仕事をしてくれる人がいなくなるから、それで困る人もいるだろうな。